2016年4月18日月曜日

出石城跡から・・北但大地震からの復興の地

実家のある豊岡市出石町に行ってきました。
城跡にある神社の境内から、町全体を見渡すのが、大好きです。
真正面の一番奥に見える三角の山は、来日岳。麓の東側に円山川が流れており、その辺りに豊岡市街地や城崎温泉があり、その向こうに日本海があります。

1925年、5月23日に「北但大地震」と言われるM6.8(M7とも)の直下型大地震があった場所です。当時の様子をWikipediaからコピーさせていただきます。
円山川流域、特に豊岡、城崎の町に甚大な被害をもたらした。揺れを感じる直前には、円山川の河口付近において海側から大砲のような音が断続的に聞こえ、地震発生時には、豊岡の町で地面が16秒間に4回も強く波打ったという。当時の建築物は木造が大半であったために、地震の初動で建物の多くは一気に倒壊した。折しも昼時で、炊事のために火を起こしていた民家や旅館の倒壊に伴い、瞬く間に火の手が上がった。
この火災により、豊岡では町の半分が焼失し、城崎では実に272名(人口比で8.0%)という多数の死者が生じた。犠牲者の大半は、炊事中に家屋の倒壊に巻き込まれ、脱出できないまま焼死した女性たちであり、「北但大震災の最大の犠牲者は城崎の女性である」とまで言われている。

この時の大火災からの復興の取り組みが、今の城崎温泉の礎になったといわれています。
焼失した町全体を立て直したというだけでなく、地元の人たちが深くつながりを持って助け合った歴史が現在まで続いています。この地震の後も、大きな災害に見舞われている地域ですが、地域共同体として災害から立ち上がる力が受け継がれていると。地震は悲しい歴史ですが、そこから立ち上がってきた故郷の誇りある歴史です。

追記;出石川の堤防もこの地震で「ぐにゃぐにゃに波打った」そうで、そのとき大改修が行われ、今の形になったそうです。

出石の町で、他に撮ってきた写真を少し。
出石城本丸跡に建てられた本丸西隅櫓(1968年に復元)

稲荷神社の参道の鳥居

辰鼓楼
明治4年(1871年)に楼閣本体が完成し、初めは太鼓で登城を知らせるというものであったが、1881年に洋式時計が取り付けられ、今の形になった。



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